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ヨーガってなんだ??ーー手段と目的の混同

わたくしごと yoga

 

 

 

事故をして
今は、肩と鎖骨の動きに制限があります。そこへ負荷がかかる体勢も禁止です(ちゃんとくっつくまで)。そうすると、ほとんどのポーズがとれません。

体幹に近いパーツは、どんな時にも使われていた と、今になって気づきます。

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転んで道路で思ったことが
アーサナできなくなるなぁ… だったくらい、

それくらい、ほとんど毎日やっていました。

大好きで、やらないと伸び足りなくてすっきりしないほど。今の仕事を選んだ理由のひとつになるほど。

わたしにとって日課になっていた、当たり前で、とっても大事なものでした。

自分とみっちり向き合うために開発されたこのシステムは、真剣に継続すれば、確実にしなやかな強い身体をつくります。それ以上に、自分の内が変化していきましたが。

 

何年もかけて曲がるようになった箇所は、今は動かず、歩くだけで違和感があります。

ようやく自分の意思どおりに動くようになってきたところ、楽しさと発見が続いた真っ最中だった。

ノリノリだったところに釘打たれたみたい。

 

手術前、予想したのが(無駄に)、
身体を動かせなくなることで精神的にダメージくらうかな… 

 

 

んで、いま
どうかというと
思っていたほど、悔しさや苛立ちがありません。

むしろ、みんなに言われる言葉。
特に、事故や手術を経験済みのヨーギー数名に同じことを言われます。
「アーサナ以外のヨーガをやれる」
「壊して復活すると、さらにパワーアップする」
「長い時間座れるなら、瞑想でいいじゃん」

 

そう、
みんなが言ってくれて改めて認識した。
ヨーガってなんなのか??
色々勉強してからの事故は
めちゃくちゃ価値があったんです。

 

わたしが今回の事故を心からラッキーだったと思っているのは、頭でなんとなくしか理解出来ていなかったこと、経験しないと理解できなかったことがぴったりのタイミングで起こり続けるから。

さらには、この程度の怪我で済み、頭と指先は何の負傷もしていないこと。
(おまけにたっぷり寝れました☺︎)

だからここにも、記録できるし、書けば書くほど考えの整理ができる。それが、読んだ誰かの役に立つかもしれません。

 

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転ぶ3日前、バナムの一周年があり、座学のクラスを開きました。
もともとは外部のベテラン先生に頼もうと思っていたのが、誰も都合が付かず、自分でやることにしました。

テーマは、私がとても突き刺さった一節。
大勢の前で話すことは、自分自身が心底理解する機会をくれます。

真我(アートマン)を車中の主人と知れ。
身体(シャリーラ)は車輌、理智(ブッティ)は御者、意思(マナス)は手綱と知れ。
諸感覚器官は馬たちであり、感覚器官の対象物が道である。
真我と感覚器官と意思が一つとなったものを、賢者は享受者(ボークタ)と呼ぶ」(カタ・ウパニシャッド3-3~4)

 

この一節を知れたこと、信じられ思い出せることで、痛みのショックや不安から自分を守ることができました。

怪我からも学べるという思考が自然と身についていました。行き過ぎたバランスを取るために、こうなった を知ることもできました。

 

わたしがヨーガを行う理由は、すべてのことから自由になることに変わります。アーサナが楽しい!からはじまり、深めてじっーと付き合っていくと、ヨガとは生き方/手段だったと知りました。

 

ヨガをすること を目的にしていたわたし。

最初はとってもアングリ…だって、今までのことが無駄だったのかー ( ´ Д`ll)と残念な気持ちになっていたけれど

それは違う、と 
無駄は何もなく、
理解するためにヨーガは必ず必要で、ヨーガをしていなければ理解することができないんだと教えられます。

 

目的が変わり、アーサナへの執着にも気づきます。この期間はそういうことをしっかり見極めるとき、理解するとき、

私とヨーガの付き合いを、燃え上がり周りが見えない(バ)カップル期から、落ち着いたパートナー期へ移行するみたいに  です。

 

そういう、熱すぎず冷めすぎずちょうどいいバランスがとれてくれば  ーーすっごくいいクラスができるだろうし(とつぜん現実的なオチ w)、

それこそがヨーガか? と思い始めてきた…

 

好き過ぎて夢中で盲目になっていると、見えないことってあるじゃないですか、、、、

 

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しゃり〜らりらりら ♪

 

馬の数がものによって違うけど、言いたいことは一緒です。