手当てと治療  思いやりと信頼関係

先日のリーディングから「目ヂカラ」ならぬ「手ヂカラ」ネタです。

 

シャバアーサナ前に首をユラユラしてあげていたら

「あー落ち着いて気持ち良いね」とのお言葉。なんの力もない私の手が役に立つ瞬間です。

 

身体をぶつけて痛い時、痛ーいと言いつつ そこへ自然と手を当てて庇います。子供が転んだ時に母ちゃんは、痛いの痛いの飛んでけ〜をします。絶望している誰かの背中をさすって叩いて抱きしめます。


私の思う   手を当てる行為は、いたわる気持ちが形になったものです。手を当てられた部分は、皮膚の感覚をとおしてその想いを感じ、大切にされてることを知覚する。そうして、この身体やワタシは大切にされる価値があると解ると、修復するための治癒力が身体の中で一気に発揮される…    自論ですよ。
 
人間は鈍感だから、言葉を耳で聞かないと、目で見えないと確認できなくて信じない。目で見た態度は思い込みだったり、聞いた言葉は嘘があるかもしれない…にもかかわらず。
だからこそ、自分の肯定的な思いをハッキリ伝えること、嘘のない言葉を口にすることの大切さも良くわかります。
 
だけど、もっと深いところの感覚はいちいち口で言わなくても、手を当てられただけで思いが解るんじゃないか、なんて思います。
 
触れてくれるひとが自分の大好きな人だったら、なおさら。オキシトシンという愛情ホルモンが発生して、幸せをたくさん感じ治癒力を高めます。これが苦手な人だと生理的に受け付けない。余計に悪化?するかもしれません。
 
何年か前、貴方のために拝ませてください  と、駅で手かざしをする人がいたけれど、殆どの人たちは見えないものや知らない人のことは、未知のもので怖いんです。受け入れないのは仕方ない。
 
見えないものを与え合う  のは、信頼関係があって成立するもの。それに値する行動や活動、人間性を持っている人から、だれもが安心して手当てされたいです。
 
 
私には、ヒトの心を読んだり透視したりする力はありません。
だけど、思いの力を知ってから  いつも「あなたが大事だよーー」と念じながら手を当てています。
私が心から大事に思う人へ、ストレートな気持ちの手当てです。
 
そこにウソはありませんよ。